株式会社シベスピ 従業員ブログ

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韻を踏むということ-前提編

お疲れ様です。
ポケモンバイオレットを買って全クリしたはいいものの、
バージョン違いのポケモンの蒐集がめんどくさくなり、スカーレットも買ってしまった岡崎です。

それはさておき、今回は「韻を踏むってどういうこと?」をテーマに書いていきたいと思います。

というのも、友人知人に日本語ラップを勧めたとき、割と高頻度で返ってくる疑問として、

「どこで韻を踏んでいるのか分からない」
「ダジャレと何が違うの?」
「そもそも何を言っているのかが聴き取れない」

といったものが挙げられます。

普段からラップというものに触れていない人にとって、
こういった疑問を抱くのは当然かと思います。

ですが、これらの疑問は、

「韻を踏むということはどういうことなのか?」

を理解することで、解決する疑問なのではないか?と、私は思う訳なのです。
そこで、今回は私がそう思う理由も含め、押韻のメカニズム、その魅力についてお伝えしていきます。

「韻を踏む」とは

まずは、概念的なお話から。
韻を踏むことについて大雑把に説明すると、

「音や響きが似ている言葉を繰り返し用いること」

です。

「音や響きが似ている」というのは、子音や母音、アクセント等の要素で共通点が多い言葉を指します。

と言われても、「つまりどういうこと?」となっている方もいらっしゃると思うので、実例を挙げてみます。

「same」と「game」
「night」と「right」
「dope」と「rope」

これらの単語は母音が同じで、子音も一部被っているので(更にアクセントも一緒)、これらのペアの単語を用いることで「韻を踏む」ことができます。
(なぜ例として英語を挙げたのかは後ほど説明します)

また、単語同士で韻を踏む際、全ての母音が一致する必要がありませんし、アクセントの位置が一緒である必要もありません。
例えば、

「wing」と「ending」
「silver」と「fever」

等も押韻にあたるでしょう。
より大雑把に言ってしまえば、「なんとなく響きが似ている」だけでも韻を踏むことの要件は満たせていると私は考えています。
(あくまで私見です。言語学者さん怒らないでください)

なぜ韻を踏むのか

韻を踏むという概念について説明しましたが、
「なぜ韻を踏むのか?」
ということについても触れていきます。

その理由は、ズバリ、

「韻を踏むことでリズムが生まれ、言葉の響きの心地よさを作り出すため」

です。

同じ響きの言葉を繰り返すことで、独特のリズムが生まれ、より強い印象を残すことができるのです。
これは、歌唱法に限った話ではなく、文学や詩の領域においても(なんならそっちの方が先)強い効果を持ちます。

また、近代的な表現かと言われるとそういう訳でもなく、その歴史はかなり長いです。
日本の和歌などにおいては、掛詞という、一つの言葉に二重の意味をかける、というような形で押韻に近似的な手法も用いられています。

こういったように、表現法の傾向としては暗喩やサブリミナルにも近しいものを感じる「押韻」ですが、
自分たちの周りを見渡してみると、押韻自体はそこまで珍しいものではないと感じます。

もちろん、ダジャレも押韻の一種ですし、最近のヒットソングにもそこまであからさまではないにしろ、
押韻の要素は含まれています。

皆さんが知っている(であろう)歌曲でいうと、Official髭男dismの「Pretender」。

もっと違う設「定で(teide)」 もっと違う関「係で(keide)」
出会える世「界線(ise」

こういった感じで、人の耳に、心により強く印象付けようとしたら意識せずとも用いているものであり、
押韻であることを特に意識せずとも印象に残るフレーズとして私たちの頭の中に刻み込まれていたりするのです。

日本語と英語の押韻の違い

と、ここまでは大局的な押韻についての性質や意義について触れてみましたが、
ここで日本語と英語、という観点から見た「押韻」について触れていきたいと思います。

まず、押韻について触れる前に、日本語と英語の間に跨る、1つの大きな性質の違いについて挙げなくてはなりません。

それは、
「発音上での母音の種類」
の違いです。

まず、母音の種類についてです。
日本語はご存じの通り、「あ い う え お」の5種類ですよね?

「……いや、英語も変わらずa i u e oの5種類やん」

……と、思う方もいるかもしれませんが!
実は!英語は同じaでも複数種類の発音があり、合計では20種類以上の母音があると言われています!

それを前提に踏まえた上で、日本の言語学者の第一人者の一人に数えられる川原繁人氏の言説をご覧ください。

曰く「日本語ラップはダサい」。もっと言うと「日本語はラップに向いていない」。気になる方は「日本語はラップに向いてない」で検索すれば、当時の雰囲気が伝わるだろう。

言語学的な論考だと、こんなのがあった。英語の母音はたくさんあるけど、日本語の母音は5つしかない。しかも、英語は子音で終わる単語がたくさんあるけど、日本語にはそのような単語がない。

つまり、英語の韻では、「母音+子音」の組み合わせが星の数ほど存在するのに、日本語は母音5つだけ。小節末に母音が1つだけ合っていても、それは技巧でもなんでもなく、ただの偶然だ。よって、日本語は韻に向いていない。q.e.d. 証明終了。
参照:
「日本語はラップに向いていない」は本当か!? | ライフスタイル | LEON レオン オフィシャルWebサイト

と、いうように、従来の日本語では押韻は(バリエーション、オリジナリティを出すという意味において)難しいものだったんです!
だから先ほどの押韻の例も英語のものを挙げたんですね。

「え、じゃあ日本語ラップはバリエーションが無くてつまらない、不良文化にあこがれた悪ガキたちが乗っかっただけで作られた芸術的価値も何もない吹けば飛ぶような茅葺屋根的ムーブメントなの!?」

と、ここまでの話を聞いて、そう思ってしまう人もいるかもしれませんが、

そんなわけがないんです。

日本語ラップ日本語ラップで、ガラパゴス的に独自の進化を遂げ、
今や言語学史にその名を連ねても差し支えないほどの「言語芸術」へと昇華しています。

日本語ラップはどのようにして母音の少なさというハードルを乗り越え、独自の技術体系を築き上げていったのか。
そのお話までして、ようやく冒頭の「よくある疑問」に対する回答ができると自負していますが……
ここまでの道のりが少し長くなりすぎてしまったので、次回そのお話をしようと思います。(気が変わらなければ)

それでは、お疲れ様でした。

一言

川原繫人氏の著作はどれも読みやすく、それでいて興味を持ちやすいトピックを例に言語学を解説しています。
シンプルに読み物として面白いので、機会があればぜひ読んでみてください!